2003/2004  第2回(12月19日) レクチュア・コンサート
2002/2003 第2回(延期分)

Hugo Wolf 作曲のEichendorffとGoetheの詩による歌曲について

 

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:東 由 輝 子

 

 昨年度の第一回目はWolf作曲のMörikeの詩による歌曲を歌いましたが、風邪による咳で、思うように歌えず、残念でした。また第2回予定のEichendorffとGoethe歌曲集よりの会が延期に継ぐ延期で予定を大幅に変えてしまい申し訳ありませんでした。

 第一回にはWolfの諧謔性に富んだ歌曲、皮肉などユーモラスな歌曲を、いろいろな気持ち、解釈で歌い較べて聴いて頂きましたが、今回はEichendorffとGoetheの詩にWolfが作曲した曲の一部分を取り上げます。Wolfは一人の詩人の歌曲を集中して作曲すると言う特有の性格を持っていました。少年時代には多くの詩人からの詩を選んで作曲していますが、Goethe, Heine, Lenau, Eichendorffなどの詩に多く作曲しています。

 先ず最初にEichendorffの詩に作曲したWolfの歌曲を取り上げますが、Eichendorffの詩に作曲した作曲家として有名なのはSchumannです。彼の最初の歌曲(1840年)、所謂「歌曲の年」の最初が、作品24で、Heineの『Buchder Lieder(歌の本)』の中の「Junge Leiden(若き悩み)」から選んでいますが、Eichendorffの詩との出会いは作品39の「リーダークライス」です。彼はどちらかと言えば自然現象などと心情を組み合わせたものを歌った詩に数多く附曲していますが、Wolfは人物像、心情を歌った詩に好んで作曲しているように思います。いずれシューマンの自然を歌った歌曲についても話したいと思いますが、今回はWolfの歌曲について話しを進めます。

 Joseph von Eichendorffについて広辞苑で調べると、『ドイツの詩人・作家。素朴な言葉で自然や旅を歌い、附曲された詩も多い。小説「のらくら者の生活から」など。(1788―1857)』とあります。大雑把に言うとSchumannは自然を、Wolfは旅を歌っています。

1788年3月10日にJoseph Karl Benedikt Freiherr von EichendorffはLubowitz城にて生まれる。父親のAdolf Theodor Rudolf von EichendorffはLubowitz城の農業経営と行政管理を任されていた。

1797年3月に兄を亡くし、4月に妹を亡くす。

1801年12月に初めてMozartの "Die Zauberfloete(魔笛)" を観る。

1805―06年兄WilhelmとHalleで学ぶ。

1808年4月パリーへ旅行し、5月13日ハイデルベルグよりニュールンベルクを通過し、レーゲンスブルグより船でドナウ川を下りヴィーンに行き、夏ルボヴィッツに戻る。

1809年17才のLuise von Larischと婚約する。

1810年10月 兄Wilhelmとヴィーンの行き法律の国家試験を終える。

1813年 兄Wilhelmがオーストリアの公務員となる

1814年 1921年「のらくら者の生活から」を書き終える。

1822年 母親が死去

1824年 ケーニッヒスベルグに引っ越す。

1837年 「詩集」を公表する。

1846年 47年夏までヴィーンに滞在しGrillparzerと知り合う。

1849年兄Wilhelm死去、秋にドレスデンからベルリンに引っ越す。

1855年Neiße(ナイセ)に引っ越す。妻Luise死亡。

1857年11月26日 Josephが死去。

 Wolfは1880年(それ以前に約40曲作曲しましたが)1月26日にErwartung(期待)を、2月3日にDie Nacht(夜)を作曲しました。1888年の噴火の年(Mörikeメーリケ歌曲集の作曲を始める)までに11曲を、88年8月31日から9月29日までに集中して13曲作曲しました。その中から20曲を選んでLacom社よりGedichte von J. von Eichendorffとして1889年に出版したのが初版ですが、1897年頃に再版を出版した時には初期に作曲した第7曲目のErwartung(期待)、第8曲目のDie Nacht(夜)、第11曲目のWaldm嚇chen(森の娘)1887年4月20日を除いた17曲で出版しましたが、現在はその3曲を付録として18,19,20番目の曲として出版しています。

 前回にも話しました私が1957年渡欧して直ぐに聴き感動したHans Hotterさんの,,Heitere Lieder(愉快な歌曲)" によるリサイタルでも歌われた ,,Der Musikant"「楽師」を最初に歌います。参考資料1(全音版)にありますように歌詞の対訳をお読み下さい。ドイツ語の

Mag dir Gott ein'n Mann bescheren,

Wohl mit Haus und Hof versehn !

Wenn wir zwei zusammen wären,

Möcht' mein Singen mir vergehn.

のニュアンスを日本語に訳すとかなり違ってしまうのです。

,,Wenn wir zwei zusammen wären, möcht' mein singen mir vergehn."

「ぼくがきみと所帯をもったりしたら、歌心など忘れかねなくなってしまう。」と訳されますが、wären と möcht' がもっている意味は「一緒になったとしたら」(そんな事はあるはずはないだろうけど)、「ぼくの歌心は消えうせるだろうよ」(とんでもないそんな事はありえないよ!)と言う意味合いを持っているのです。

 例えば ,,Wenn ich ein Vöglein wäre, möchte ich bei dir gleich fliegen“(もし僕が小鳥だったら、君の所に直ぐにも飛んで行くのに)と言うのと同じです。僕は小鳥ではないので、飛んで行きたくても行けないのです。

 しかし、その感じを上手に良く表現できた時にドイツ語圏の聴衆はクスクスと演奏中に微笑んだり、歌が終わったとたんに笑いだしたりするのです。当時の僕には客席のその雰囲気がとても快く感じヴィーンに来たのだ!居るのだ!という実感が本当にしましたし、何時かこの様な曲を歌った時に聴衆を笑いに誘う演奏をしなければと思ったのでした。日本語には訳すことの難しいドイツ語の表現が沢山ありますが、出来るだけその表現を日本語に出来れば、したいものですが、中々困難な仕事です。それが日本語訳で歌えない大きな原因の一つでもあるのです。

 1997年に今は亡き戸川敬一先生に東京ドイツ・リート研究所で「Eichendorffについて」の講座をお願いし、先生がご自身でこの詩を訳されて朗読されたのですが、さすがにご自分で訳されて、朗読されただけにその微妙なニュアンスが素晴らしかった事を記憶しております。当日のヴィデオがありますので朗読の声をお聴き下さい!(録音)

 この曲の4小節目の2拍目の和音は自筆譜[A](譜例1)では僕のWolf歌曲選集の脚注のように音が多くなっていますが、初版以降は少なくなっております。弾いてもらいますが、実際にはこの程度の違いですが、見落としたのか現在の所調べ様がありません。どちらでも良いと思います。

 そもそもこの詩の原題は ,,Der wandernde Musikant" と言う題で六つの詩から成り立っています。最初の詩にWolfが作曲しましたが、二番目の詩

Wenn die Sonne lieblich scheine(,)

Wie in Welschland(,) lau und blau, Peter版のTiefのみWälschland

Ging' ich mit der Mandoline

Durch die übrglänzte Au. 以下3番までありますが、この詩にはMendelssohn=BartoldyがPagenlied(小姓の歌) 言う表題でリートを作曲しています。出だしを少し歌ってみますが聞き覚えがありませんか?

 

 この曲(Wolf)でも歌い方によってはかなり違った表現になります。ユーモアの有る曲は演奏者の捉え方で曲の表現は大きく違いますので、部分的に歌い分けてみます。ただ綺麗な声で歌っても意味はないと思います。

 先ず出だしですが、如何に気侭な生活が好きで、その日その日を気楽に過ごしているかを表現しなければ後に続きません。続くフレーズも

Schöne alte Lieder weiß ich,

In der Kälte ohne Schuh.

Drauァ en in die Seite reiß ich

Weiß nicht, wo ich Abends ruh. など気持ちをフレーズ毎に切り替えなければ表現にはなりません。

  良くドイツリートは哲学だと仰山な言い方をする音楽学者や歌手がいますが、確かに所謂哲学的な歌もありましょうが、惚れた、はれた、嬉しい、悲しいと歌っているので哲学だとすれば恋愛哲学だ!と学生に言ってしまうのですが、皆さんはどの様に考えられますか。

 この曲も気ままに寒いのに靴もはかずに歌いさまよう様、好きな時に好きなように歌い暮らす気ままな所謂ホームレスの様子は、本当に風来坊を楽しむ気持ちで歌わなければならないと僕は思います。

 メーリケ歌曲集からのWarnung(いましめ)やAbschied(あばよ!)は解釈でかなり声の使い方が違ってしまうのを判断できたと思うのですが、我々が綺麗な声で歌うだけでは意味がないと思います。詩人が考えたであろう心と作曲家がその詩から得たイメージを出来るだけ忠実に表現したいと我々は努力するのです。

 次に "Verschwiegene Liebe" を歌いますが、この曲の繊細な感じが中々表現できないので、若い頃に何度か歌っただけで、以後挑戦しておりません。繊細な表現が思うように出来ないためにコンサートではとても歌う気にはなれない、僕にとって最も難しい曲になってしまいました。この曲の前奏は自筆楽譜でも他の楽譜(参考資料2 全音版)同様に3小節の伴奏左手3‐4拍はタイで結ばれていますが、1‐2拍にはタイはありません。何処かにタイの付いている楽譜が無いものかと探しましたが、この曲のスケッチにもタイは付いておらず、未だに探し当てておりません。ピアノで弾いて頂きますが、タイがあっても悪くは無いのではと想像したりするのです。どなたかタイのついたヴォルフの楽譜を見つけられましたらお知らせ下さい。

 ヴォルフ自身も再版(参考資料3)まではかなり繊細な表現を望んでいたのではなかろうかと思います。自筆楽譜同様に初版(参考資料4)でもpp, ppp, ppppなどで非常に繊細な音を望んでいますが、再版で一段階大きくしました。恐らく弱く歌い過ぎる歌手が多く気になったのかもしれません。(8、9、17、18、24、25小節参照)

 次に "Das Ständchen" を歌います。この歌は第三者である大人がセレナーデを歌っている若者を温かい目で見守って居る情景がほほえましく歌われています。また自分の過去を思い出しながら若者に対する思いやりが歌われています。この曲もVerschwiegene Liebe同様に自筆楽譜や初版ではpp pppが指示されていますが、再版では一段階大きく歌うように変えられました。恐らくこの曲でも弱く歌い過ぎる歌手が気になったのでしょう。

 伴奏は若者が奏でている楽器を想像すると良いのではないかと思います。9小節から11小節の2拍目 mfまでのcresc. そして直ぐp にする形(参考資料5初版)は到る所に出てきますが、これは若者が気分に乗って楽しんで弾いている様で16分音符をpで弾く事で若者の心情が現れているように思い、洒落た感じがします。

 

"Heimweh" この曲は昔から日本人に好まれて歌われていた数少ないヴォルフの歌曲です。最初に僕が編集したヴォルフ歌曲選集で歌います。

 29小節の伴奏には自筆楽譜と初版楽譜に(sehr zart)があり、31小節目の伴奏に自筆楽譜と初版両方にp  cresc. (松葉印)が付いて、32小節の頭にmfが付いています。再版以降はfとpの全く逆な形に変わりました。(参考資料6 全音版)、(参考資料7初版、再版)この部分と35小節を含めて終わりまでを歌い比べてみます。どちらの表現が良いと思われますか?

Der Morgen, das ist meine Freude ! 朝、それは僕の喜び!  この「朝」と言う言葉をfの間奏からpの伴奏ではじまる表現と、pから始まってクレッシェンドしてmfで歌い始めることでかなりの違いができます。

 35小節の歌唱部に自筆楽譜ではcresc. (松葉印)が付いています。付点二分音符の歌唱表現が弱くならないように気を付ける事が大切です。又38小節の歌詞Deutsch-landをHei-matに変えて歌う人が居ますが、ドイツ人以外はHeimatでも良く、こだわる事はないと思います。僕はドイツ人ではありませんが、詩人に従います。後奏のfffはしっかり弾くことが大切で、慌てない事が大切です。

 "Der Scholar"  Eichendorffの原題は“Der wandernde Student”で一人故郷を離れて勉学に勤しんでいる学生の心を歌っています。自筆楽譜の20小節では伴奏右手の和音が、23小節ではメロディーと譜割りが違っていますが、僕が編集したヴォルフ歌曲選集(参考資料8全音版)には楽譜内に脚注として取り上げました。

 僕が編集した楽譜では自筆、校正刷り、初版、再版その他Wolf自身が目を通した楽譜類を調べて脚注は勿論の事、それ以外にも初版、再版、ヴォルフ全集などと自筆楽譜の違いについて書き込みをしましたし、巻末に「編集・校訂について」で詳しく違いを述べています。参考にして頂ければ幸いです。

 

 "Die Nacht" この歌は心に秘めた愛の苦悩を夜の静けさに託して歌っています。強弱記号はp , pp pppだけでとても静かな曲です。響きだけで歌いたい曲なのですが、澄んだ良く透る声で歌うのが結構大変です。 

 13小節のoder Träumeに自筆譜では(flüsternd)(囁いて)と書き込まれています。当然そのように歌いますが、あった方が親切でしょう。

  以上でEichendorffの詩による歌曲集からの歌を終わり

 

 次にGoethe歌曲集の歌曲に移ります。「ギョエテとは俺の事かとゲーテ言い」と言う川柳もどきが昭和の初期まで言われていましたが、ゲーテの詩に作曲した作曲家は非常に多いですが、Goetheが主宰していた『ベルリーン歌曲派』の時代を今日では『芸術性の無い芸術歌曲の時代』とも言われています。

 Goetheの主張はメロディーは出来るだけ易しく、簡単で音域は出来るだけ狭く、誰にでも口ずさめるように!また伴奏は無くても良いような簡単な和音などを付ける事!詩を越えるような曲を作曲しないように!詩人の書いた通りに有節形式で作曲するように、歌詞の繰り返しなどもってのほか!などと作曲家に要求していたのです。Berlin在住の多くの作曲家は当時の権力者Goetheに従がわざるを得なかったのでしょうが、作曲家の独自性を主張して袂を分かった作曲家も決して少なくなかったと思います。幸いな事にBerlinから遠く離れていたオーストリアの作曲家は被害(?)を受けずに作曲活動ができました。Mozartの「すみれ」の作曲形体などはGoetheの最も望まない姿であったと推測されます。MozartはGoetheにこの曲を贈ったそうですが、うんともすんとも無しの礫だったそうです。

 Schubertも出版計画をGoetheに伝え、Goetheの歌曲だけの1冊も考えていると楽譜を送ったのでしたが、反応はありませんでした。

 Goetheの詩に一番多く作曲した作曲家は誰でしょう?Wolfはゲーテ歌曲集に収録した曲は1888年10月27日に作曲を始めたHarfenspieler Iを皮切りに1889年2月12日のDie Bekehrteまで51曲を書き、その他に遺作としてDer Fischer, Wanderers Nachtlied 等5曲あります。シューベルトは61曲作曲していますので、二大歌曲作曲家が計らずもGoetheの詩に作曲する事に力を注いでいた事が分ります。

 Schumannも結構作曲していますが遠く及びませんし、Brahmsは5曲ほど、Mozartは1曲で、Beethovenは数曲作曲しているだけです。

 

 最初に "Der Schäfer"(羊飼い)を歌います。先ず詩の内容を良く読んで色々イメージしてください。

 

 この前奏ですが、二通りを弾いてもらいます。最初のtr(トリル)をきれいにリズミカルに弾くのと、如何にもだらしない、怠惰な感じで弾くので、その表現がどの様に皆さんに通じるでしょうか?(参考資料9初版)

 最初に僕がWolfから受けたイメージではなくきれいな声だけの表現で歌ってみます。ユーモア無しにきれいに歌うとこんな感じになりますが如何でしたでしょうか?

 次に僕がWolfの曲から受けたイメージで歌ってみます。怠惰極まりない羊飼いが食っちゃ寝、食っちゃ寝で、羊の世話なんかすっかりほっぽり出しているのに、乙女に恋した途端、全く変わってしまい、寝食を忘れて、一人前に悩む様、結婚できた途端にまた元の木阿弥。10小節目のSchaf(羊)、26小節目のbrav(お利巧さんに)や34小節のSchlaf(睡眠)の音の使い方の巧みさなど、歌っていてとても楽しくなります。僕の大好きな歌です。

 部分的に両者を歌ってみます。僕のように解釈する人間が居ると言う事を知っていただきたいです。特に最後のSchlafを伸ばして欠伸状態にして、いまにも眠りこけそうに終わり、曲の最後に鼾をかきたい欲望にかられるのですが、ステージでは一度も勇気が出なく、実行した事はありません。

 

 

次にSchubert, Schumann, Wolfの3人が作曲したWilhelm Meisterの中から歌います。

 作曲されたテキストから想像すると、Schumannは小説を読み、その中から詩を選んでいますが、SchubertとWolfは詩集を読んで作曲したように思えます。しかし詩集によって少々違いがありますので、それを考慮しなければなりません。

 

 最初に 3人の作曲家が作曲した "Der Sänger"の出だしを歌います。最初は誰で、2番目、3番目は誰の曲だと思いますか?3人の作品を知らなかった僕の若い時代にこの曲を聴いて誰だろうと考え込んだ事があり、間違った判断をした事がありました。この3人の曲を知らない方は想像して答えてみてくださいませんか?

 SchumannとWolfはSchubertが作曲した詩には出きるだけ避けて作曲しているようにも感じるのですが、Wilhelm Meisterの詩は三人揃って作曲しています。(参考資料10)

 

 SchubertのDer Sängerを最初に歌います。次にWolfを歌いますので較べてみてください。共通点と違う点が割合はっきりしていると思います。WolfはPrometheusにも見られるようにいささか大袈裟と言うか大きな曲に仕上げています。

 自筆譜との違いは105小節の最後の和音だけですが、弾き比べてもらいますのでお聴き下さい。

 

 男声が好んで歌う曲に「竪琴弾きの歌」Harfenspieler(竪琴弾き)WolfとGesänge des Harfners(竪琴弾きの歌)Schubertがあります。昭和28年の読売新聞社主催の新人演奏会でWolfの3曲目をプログラムに入れて歌ったので大変思い出のある曲ですので、Wolfの曲を3曲続けて歌います。

 これはMignonの父である老人が旅篭の屋根裏部屋で口ずさむ歌です。裕福な家に生まれたミニヨンが幼い頃に誘拐されて、旅回りの一座の一員としてドサ回りをしています。父親である老人もすっかり落ちぶれて旅を続けています。

 一応老人とは言いますが、ミニヨンの父親ですのでそんなに老人ではないでしょうが、この時代(今から200年前)の50才と言えば老人と言ってもおかしくなかったのでしょう。現在の50才とは大違いです。

 楽譜の説明としては特筆する事は殆ど無いようですが、詳しくは僕の編集したヴォルフ歌曲選集(全4巻)を見ていただきたいと思います。

 第1曲のSchubertと第2曲のSchumannを歌いますので聴き較べてください。この2曲は学生時代にHessert先生から頂いた曲です。Schubertの伴奏も竪琴を爪弾いている様に作曲しています。Schumannの伴奏の音形はたどたどしく歩く様(参考資料11全集版)が描かれているように感じます。

 

これで今日の会は終わりと致しますが、質問のある方はどうぞお尋ね下さい。

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